執着は苦悩のはじまり
 
 
仏教は無我ということを説きます。

 無我とは

 梵語ニルア−トマンの訳で、

 我という観念、

 我が物といういうとらわれを

 離れると言う意味です。
 
 つまり、物事に執着しないことです。

 執着は自分中心的になり、

 人生の苦悩の原因にもなります。
 
 
 我でしか生きることの出来ない私が、  

 無我という心を思い出す時、
  
 
 


 心の安らぎを

 感じるのでは
 
 ないでしょうか。




  何ものかを、我がものであると執着して動揺している人々を

  見よ。かれらのありさまは、ひからびた流れの水の少ない

  ところにいる魚のようなものである。
                                『仏典』